2012/01/05

「精霊の木」と「ミシェルフーコー」
異文化を理解しようとしないことこそが「野蛮」

お正月に読んだ本から、印象に残った2冊を紹介します。

 まずは、「精霊の木」上橋菜穂子(偕成社)。氏のデビュー作で「守人」シリーズの原点ともいえるSFファンタジーです。科学技術が未発達で独自の風習を持つ先住民を低能で野蛮と決めつける移住民、その隠された野蛮な開拓時代を暴く物語です。
 文中、マスコミの使命についても熱く語られています。インディアンを野蛮人として描くハリウッド西部劇流報道の罪深さが知れるというものです。中学生以上が対象の「児童書」と分類されたりしていますが、大人が読んでも十分に楽しめます。


 2冊目は、「ミシェル・フーコー - 近代を裏から読む」重田園江(ちくま新書)。近代国家の刑罰は自由刑が中心で、拷問や不必要で長時間に渡る苦痛を与える方法による死刑(身体刑)などは野蛮と考えられることが多いです。しかし近代以前の社会においては、拷問を含む身体刑はそれなりの合理性をもっていた、というお話が本書の導入部分です。
 中盤以降の「監獄」の話からは、はちょっと難しくて挫折しました。曰く、自由刑自体が近代をもたらす原動力の一つである啓蒙主義とは相容れない考え方で、国民国家と重商主義に(つまりはブルジョワジーに)都合の良い「規律」を強制する手段として云々...

 両者に共通しているのは、物理的に優位に立ったものが劣位のものを、価値観の違いを斟酌することなく「野蛮」と断定するという、ヒトが陥りがちな枠組みです。異文化を理解しようとしないことこそが「野蛮」なのだということを、忘れないようにしないといけないと思いました。

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