しかし現代社会においては、日々自然の脅威に怯えることはなくなりましたが、複雑な人間関係や利害関係のなか上手に世渡するのが難しいのも事実です。社会科学にも複雑系の考え方が導入されることから、その複雑さは推して知るべしです。かと言って、いまさら自然に怯える生活に逆戻りもできません。というか、したくはありません。つまり、自然という複雑な問題を社会という複雑な問題で制した、とも言えなくないでしょう。
もちろん、複雑な問題をシンプルに解決できるにこしたことはありません。しかし、必ずしも単純な解法が得られるとは限りません。かと言って複雑な問題に直接対峙すれば、敗れ去る可能性が高くなります。そこで次善の策として、苦手な複雑性を別の(比較的)得意な複雑性に置き換えて対応するということになります。
ここまで書いて、この話は4月に書いた「問題を解きやすいように変形する」の1ケースだと思い当たりました。う~む。この半年間で、あまり思考に進歩が見られませんな。
なお、時として複雑な解法は元の問題よりも厄介な問題を持たらします。そのことは忘れないようにしたいですね。
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